PROFILE

はじめまして、なつです。

ブログ『なつのいとをかしな人生』へお越しいただいてありがとうございます。

 

私は今、人生折り返した辺りのアラフィフです。

数年前に離婚してシングルマザーとして愛娘2人と愛犬1匹とそこそこ楽しく暮らしてます(^^♪

私がどうしてシングルを選んだのか、この先の人生をどうしようと思っているのかを綴ってみたので、もしよければざざーっとご覧になってくださいね。

 

人生の前半は可もなく不可もなく(だとおもう)

子供のころはとにかく人から注目されたり見られたりするのが苦手で学校の授業では意地でも発言はしないタイプでした…。

考えた先生が全員立たせて発言した人から座って良しとすることをしても最後の方まで手は上げれず、でも最後まで残るとそれはそれで注目されるので渋々残り2、3人のところでやっと…✋ ホント今考えても自意識過剰ってやつですね^^; 

 

両親は特に仲がいいわけでもなくすごく不仲でもなくて、父は自分の遊びが大事だったので子供のころはほとんど関わった記憶はありません。たまに行きつけの喫茶店に連れて行ってもらって嬉しかったかなー☕

 

11歳上の兄がいますが、生まれた時から脳に障害があり養護学校を卒業した後はずっと家で母が面倒をみていました。血のつながった兄ではあるけれど兄妹の感覚は全くなく、奇声を発したりもするので友達も恥ずかしくて呼べないしほんとに子供のころは嫌で仕方がなかったです。

母は毎日家事に仕事に兄の世話に忙しく、そんな母を見ていつしか私はすっかり手のかからないいい子になっていました。

 

でもそれを苦に思っていたことはなかったですね。反抗期もなかったし…

 

愛知県の田舎のほうに住んでいるので、小中高と公立校に進み、行く気もなかった大学も先生にまんまと唆されて受験。行きたかった大学は不合格でもともと行く気なんてなかったので進学せず…。後で思えば金銭面で親に苦労かけなくて良かったと思っています。

 

今更、就職もする気になれなくてとりあえずはあの頃の便利な言い方「家事手伝い」に。今の言い方だと「ニート」でしょうか…💧

その場その場を、誰かから言われるとそうなのか~とのらりくらりと流されるままに生きてました。

 

そしていろいろと職を変え、適齢期?笑のころに出会った男性と結婚。大恋愛とかではなかったけれど「この人となら生涯一緒に生きていけそう」と思ったのです。

そして可愛い可愛い女の子💗を2人授かり、たまにいろいろと思うことがありながらも日々を過ごしていました。

 

40歳を過ぎた頃からバタバタと……

40歳を過ぎた頃、父が倒れました。肺がんでした。

 

倒れた父が一言私に言いました 「お母さん、ちょっとおかしいと思うんだ

それまでは全く気が付かなかったのですが、母は認知症にすでになっていました。

そして、そこから父は半年ほどであっという間に逝ってしまいました😢

 

父が倒れたことによって毎日が目まぐるしくなりました。

父の入退院の繰り返し・通院の付き添い・母の介護認定にデイサービスの手配・日々の生活の補助、そしてそれまで見ないように考えないようにしてた兄のこれから……

もう毎日が大変だと思う暇もないほどに、分からないことだらけ…💦

環境の変化についていけない母の症状はどんどん進行します…

幸いに市の職員さんたちがすごく良くしてくださってかなり助けていただきいろいろと手配していただけました。

 

そして父が亡くなり、これまたさっぱり分からない通夜・葬儀の手配。でも私しかいないのでやっていくしかありません。

 

認知症の母と知的障害者の兄での二人の生活。心配でたまらないけれど、引き取って一緒に暮らすという選択肢は出来ませんでした。私一人なら全然構わないけれど家族に負担はかけたくありませんでしたし…

そこから1年ほど。 日々トラブル続きでしたがなんとか幸運なことに2人とも施設入所することが出来ました。 でも母は本当はまだ入らないほうが良かったのかもしれないのですが……

 

なんとか母と兄の事が落ち着いて、日々の生活を取り戻していく中で私の心には夫への不信感が少しずつ少しずつ顔を出すようになってきました。 実家のことで私が一人で頑張っているのは当たり前で(そこは自分の中で苦でも何でもないのですけどね)、でもたまに少し相談したとしても「お前がそう思うんならそれでいいんじゃないの?」って言う返事。もしくは「よく分からん…」……

うーーーーん、そういう言葉が言って欲しい訳ではないんだけど……(-“-)

 

夫(元夫?w)は元々モラハラ気味の人。自分の機嫌の良し悪しで言う事がコロコロ変わる人でした。今思えば、いつも機嫌と顔色を窺うようになってしまっていました。

自分の鬱憤がたまってくると「話し合い」という名のもと2~3時間ひたすら自分の不満を吐き出すことが続き、口を挟もうなら黙れ、それとこれとは違うとピシャリ。自分が吐き出してすっきりするとお前は?何もないの?と聞いてきますが、そこで私が何か言おうものならまた2~3時間始まるのがもう嫌なので何も言えなくなり、結婚してから2年で諦めました(-_-)

 

人は良いところもあれば悪いところもあるので、それはお互い様だと思っているしあまり考えないようにしていたのですが、父のことがきっかけで良いと思っていたことが実はそうではなかったことに気づいてしまって……

そうすると段々悪いところしか目に付かなくなって、一気に気持ちがひんやりと冷めてしまったのです。それが相手にもやっぱり伝わっていくんですね。事あるごとにクドクド、ガミガミ言われるようになりました。

その機嫌の悪さの矛先が娘たちに行くことがだんだん耐えられなくなってきて、もういつ離婚しよう… そればかり考えるようになって色々と調べ始めた頃、とうとう向こうがキレました。

「そこに座れ!」

「お前はもう俺の事が嫌いなんだろ?そう言えよ、なぁ!」

怖さで初めて身体がガクガク震えていました。

「そうだね…」

そういった瞬間、頬を叩かれていました。顔を上げたら今度は反対を…

そこからあまり記憶がないんですけど、頭をつかまれて気付いたときには床で号泣してました…

でも、スタンバって?wくれていたらしい娘が突入してきてそれ以上は何もされなくて良かったのですけど。(娘にはすごい嫌な体験をさせてしまって本当に可哀そうなことをしてしまいました)

もう終わりですね……

そのことがあってから2週間で離婚しました。

シングルマザーは大変ですけど、娘たちも父親から解放されて3人で楽しく暮らせるようになりました。

 

そしてこの先

頑張って働かなくてはというプレッシャーはありながらも娘たちとの気楽な生活を送る日々。

そんな中での新たな人との出会いと別れ… 

                        

心と身体が安心していたところの別れだったので、ただただ嘆き悲しみ絶望の底にいる日々が続きました……(ノД`)・゜・。

でも、どんなに悲しんだところで仕方がありません。また前を向いて生きていくだけです。

 

この先まだまだ人生は続きます。

 

徐々にいう事をきかなくなる身体、いつ始まるか分からない更年期障害

 

いつか巣立っていく娘たち…

毎日毎日、悩みも不安も尽きないけれど自分1人でもなんとか生きていけるだけの力が欲しい。

物にも人にも依存や執着しないでいられる自分でありたい。

その為にはまだまだ勉強です。

 

もうアラフィフ…って思うかもしれないけれど、いいえ!まだまだアラフィフです!!

この先もっともっとやってみたい事、まだまだ行ってみたい場所、たくさんたくさんあります。

いつでも小さなことに幸せを感じながら笑って過ごしていきたいのです。

 

まだまだ自分と娘たちのことでいっぱいいっぱいだけれど、いつか誰かの為に役に立てるように誰かの心が少しでも軽くなることをしてあげられるようなそんな人間になりたいとも思っています。

 

あなたも毎日を頑張りすぎていませんか?

 

このブログでは頑張って疲れてしまった心と身体が少しでも軽くなるように、健康の事、心の持ち方などを綴っていけたらと思っています。

頑張るのもほどほどにして、日々を心地よく過ごすことに意識を向けましょう!

 

長々と読んでいただきありがとうございました_(._.)_